ゆるむ つながる時間

自然とあそぶこと、アロマ、フラワーエッセンス、中国茶がすき。

幸せは感度を高めるだけ

12月のポカポカ日は幸せ~\(^o^)/
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文章にしてしまうと

いろんな人が使い古した言葉になってしまうのだけど、とりあえず書こう。

 

条件づけをやめたら

いまここですぐ幸せになれる

 

とはよく言われてるけど

 

ほんとにそうなんだけど 

自然にそう思えるように

府に落ちるのに時間がかかったなー。

 

 

頭ではわかっていても 

でも、わたしはこんなふうに大変で。。。と

長い間駄々こねていた気がします。

 

 

何が足りないとか 

何がだめだとか

 

幸せじゃない理由は

考えればいくらでもみつけられる

 

けど

 

その思いは自分が決めてるんだ、

と気づいて客観視していくと

 

切り離せなくても

それを、抱えたままでも喜びは感じられる

 

完璧になって生まれ変わって

ババーンってグレードアップするんじゃなくても

 

いまの自分のままでも

今すぐ幸せになれる

 

なにも目指さなくてもいい

両立、共存できるんだよね。

 

 

 

ネガティブなことはあるけど

これって本当に悪いことなのかな

と疑問がわいてきたらしめたもので。

 

 

そのかわりに

なんでもないことが

この上なく幸せに感じられるような

感度が高まってくる。

 

そんなのの何が?というものまで

いちいち幸せに。

 

 

イライラしたり、モヤモヤもする

 

けど同時に、生きてるうれしさを感じる

 

 

 

むりやり、そうなろうとする

方法、メソッドもあるだろうし

癖付けのためにはいいかもしれないけど

 

そんなことしなくても

自転車こいでて急に、あー、みたいな。

自然に来るのを待つ

 

 

真面目ぶって大変ぶって

ちょっぴり不幸っぽくしてないと

みんなの仲間に入れない?

とおもっていたみたい。

 

ちょっと不幸ネタがあったほうが

話も盛り上がるし、

親しみをもってもらえたり

同情してもらえたり

 

あと、そういうのがあるおかげで

出会いもあったし

学びもあったから

結局はそのために持ってたんだと思うけど。

 

 

たとえば学校で、職場で

周りになじむために、そんな習慣が

しみついたのかもしれない

 

私の育った田舎は

村意識っていうのかしら

妬まれたらおしまいみたいなとこあって

目立ったことでいじめられることもあったし


誉められても、

いやいやいやいや全然だめですよって

全力で否定したり

不幸自慢が日常会話。

 

気づくと、

あなたはいいわよね、私なんかね、、

て自分をおとしめるネタを探しながら

話す癖がついてた

 

 

そう、ネタ探し

 

 

日常の中でなにをネタにする

=ピックアップするか

 

その視点がどこに設定されてるのか

なんのためにそう設定してたのか

 

 

世間をわたるために

それが役に立つ場面もあるけど

 

いらないときは

そのモードをオフに意識できたらいいな

 

 

 

ちょっと感度をメンテするだけで

 

生きてるだけでラッキーだ!

って、なるね。

 

昔、葉っぱ隊?っていたの知ってますか

ウンナンネプチューンとかかな?

 

息が吸える~息が吐ける

生きてるだけでラッキーだ!

みたいな歌を歌ってたよ。笑

 

なんかそれくらいアホでいいかなと

 

葉っぱいちまいあればいい~❤

 

って

そこまでは無理だけどさ。。。

 

 

青空でポカポカだと

すべてが完璧におもえるから

 

油断するとすぐ拗ねがちな

自分のために、書いておきました\(^o^)/